比律濱倶楽部の泣き笑い
元フィリピンパブの店員です。 どういう風になっていくか、自分でも分りません。 ただの愚痴にだけはならない様にしたいと思います。 宜しく。
はぢめてのお遊び
私が初めて連れて行かれたのは、エドサ・コンプレックス。
体育館みたいな建物にいくつかのゴーゴーバーが営業していた。

その中の一軒に入ると、
ビキニ姿の娘さんたちがけだるそうに踊って?いた。

店の面積のおよそ1/3ほどが高さ1m弱のステージになっていて
往年の日本のディスコのような感じもする所だった。

席に座ると「ママさん」が近づいてきてプロモーターの知人と話をしていた。

ビールを頼み飲んでいたら、わらわらと女の子が近付いてきて
なにやら言い出した。

タガログの全く解らない当時の私はきょとんとしていたが、
英語で話しかけられてやっと対応できた。

つまりは「座って良いか?」「飲ませろ」「連れ出してくれ」
であった。

「誰か良い子がいたら言え。一晩3500ペソだ」
(かなり昔の事で、間違っているかも・・・・)

結局、わけが解らないまま、薦められた子と一晩過ごした。
今では考えられない程ウブな私だった。
様々な遊び
もともと、日本でも全くと言って良い程夜遊びをしなかった私が、
マニラで初めて夜遊びというものを体験した。

カラオケ、ゴーゴー、エドサ・コンプレックス、LAカフェ、バクラランのショークラブ。

プエルトガレラのサバンビーチ、アンヘレスのディスコ街。

わずかな期間でフィリピンのあそびを一通りこなしたわけである。

プロモーターをしている知人は、当然の事ながらかなりの遊び人であった。
何も知らない私を面白がって、色んな所へ連れて行ってくれた。

様々な場所で、初めての驚きが私を待っていた。
夜遊びデビュー
プロモーターの知人は、マニラのマビニ通りに事務所を構えていた。

私はそこに居候のような形で寝起きするようになった。
三食昼寝つき、ケーブルテレビもあり、NHKも映った。
マニラに住んでいる困窮?邦人もよく訪れ、食事を共にしたり、TVを身に来たりしていた。

プロモーターの仕事は順調のようで、実際は知人の雑用係のような事をしていた。

小遣い程度の報酬しか貰わなかったが、住居費と食費は全て向う持ちなので
別に問題は無かった。

そして、私はフィリピンで初めて、夜遊びや女遊びというものを経験した。
数年前・・・知人に誘われて
 仕事があまりに忙しく、体を壊し、会社を辞めて、ついでに離婚して
派遣会社でとある工場でのんびり働いていたときのこと。

フィリピンでプロモーターをしていた知人に

「こっちに来て休養がてら俺の手伝いをしないか?」

と持ちかけられた。

過労で倒れたくらいだから、夜遊びなどしたこともなく、
当然Pパブなど話でしか聞いたことの無い私は、
フィリピンに対する特別な興味も思い入れも無くて、
ただなんとなく
「現在の環境を変えてみるのもいいかな?」
くらいの軽い気持ちでOKした。

これがはじまりだった。
ほとぼりが冷めて・・・
おそろしく長い間放置プレイをしていました。

あれから、
お店に入管が入って、再開して、閉店が決まって、仕事やめて、
再就職して現在に至ります。

これからしばらく、私とフィリピンとの関わりを少しずつ綴っていきます。

って、ここに来てくれる人って、いるのかな?
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